「鎌倉散歩」 (その33)   得田 皓則 

◎安国論寺
 このお寺は、山号を妙法華経山、寺号を安国論寺と言います。鎌倉駅から逗子の方向に向かい、名越えの切り通しの少し手前、徒歩で約15分の所にあります。境内一帯は松葉ヶ谷(まつばがやつ)ですので、一般に松葉ヶ谷霊跡、安国論寺と言います。
(安国論寺山門)
 日蓮聖人は、建長5年(1253年)428日、今の千葉県清澄山上で立教開宗をされましたが、時の政治の中心である、鎌倉の名越松葉ヶ谷の岩屋に庵を結ばれ、布教されました。それが、現在本堂の向かい側にある小庵とその奥に連なる法窟(岩屋)と言われます。32才から40歳代のおよそ20年間にわたって、当地に滞在し釈尊に代わって衆生を救うために、法華経とお題目とその宗教的信念を宣教されました。
(御小庵から岩屋への入口)
 文応元年(1260年)39才の時、この岩屋でかの有名な「立正安国論」を書かれ、同年716日、前執権北条時頼に建白されました。寺の名前はこれに由来します。しかし、中傷が行われ、翌月827日には大難は四度、小難は数々と言われた諸法難の内、4大法難の最初、松葉ヶ谷焼打の御法難にあっております。今も裏山に一時避難された南面窟が残っております。後に、名越えの切り通しの先にあるお猿畠法性寺に逃れた。ちなみに最大の法難は、龍口寺の所で述べた龍ノ口の法難であります。
(南面窟)
 この岩屋の脇から裏山に登ると、富士見台という所があり、日蓮聖人が、毎日ここから富士山に向かって法華経を読誦されたと伝えられています。海岸と市内が一望できます。
(富士見台からの景色。冬は富士山も見える)
以上の寺の説明を見ると、何の疑念もないが、すぐ隣の妙法寺の説明を見ると、はてどうだったのか?と疑問を感じます。

   

(了)