「鎌倉散歩」 (その44)   得田 皓則   


包丁式

 419日鶴岡八幡宮舞殿において、四条流包丁式の奉納が行われておりましたので、ご紹介します。
 「包丁式」とは、料理に関する作法、故実や調理法などを総称して称されるもので、最も頻用する調理器具の包丁で象徴した呼び名である。「庖丁道」とも称される。

 四条流の起源は、藤原山蔭(四条大納言、824年―888年)が、光孝天皇の勅命により庖丁式(料理作法)の新式を定めたことに由来すると伝えられている。9世紀、平安朝の段階で、唐から伝えられた食習慣・調理法が日本風に消化されて定着しつつあったと思われ、それらをまとめて故実という形で山蔭が結実させたものであろう。山蔭は「日本料理中興の祖」とされる。藤原山蔭は京都吉田神社の創始者でもあり、日本のあらゆる食物を始めて調理調味づけた料理人の始祖として、「包丁の神、料理・飲食の祖神」として信仰され、吉田神社の末社「山蔭神社」に祀られている。
 山蔭の確立した庖丁式は四条家に家職として伝えられ「四条流」と呼ばれることになる。

 その後、鎌倉時代中期には「四条園流」を、室町時代には足利将軍家に仕えた四条流の庖丁人・大草が「大草流」を創始、江戸時代には四条流を学んだ園部和泉神が三河氏に仕えていたが、家康が天下を取ることにより、「四条園部流」が幕府の台所を預かることとなり、各藩へも普及が進んだ。
 「四条流包丁書」 室町時代後期に四条流の大意をまとめた料理書で、四条流庖丁式の次第が記述され、当時の日本料理の素材や調理法を知る上で貴重な史料である。
 「四条流包丁儀式」 藤原山蔭が、鯉をさばいたと言われる伝統的な技法である。巧みな包丁さばきによる荘厳な技術披露が現在も継承され、烏帽子・直垂をまとった姿で、包丁と真魚箸(まなばし)のみを用いて、鯉・鯛・鰹など、素材に一切手を触れることなくさばいていく。

(了)